2011年07月31日

学歴に関する一考察

 こんばんは。

 今日は、ちょっとネットなどでも良く話題になっていることについて、前々から思っていることがあるので、それを話します。
 ちなみに、あくまでも私が経験したことや実際に見聞きしたことに基づいた話なので、すべての方のケースに当てはまるものではないことをご理解の上、そういった見方もあるのか、という感じで読んでください。お願いします。

 『学歴(いわゆる高偏差値大学出身という肩書き)は、社会で役に立つでしょうか?』

 結論から言うと、『大学名は、社会では役に立たないケースがほとんど。』というのが私の実感です。

 考えたら当たり前なんですよ。だって、もしあなたが社長で、社員を評価するなら、間違いなく自分の企業の繁栄に貢献した人、つまり仕事のできる人であって、どこの大学出たかなんでどうでもいいでしょ。そういうことなんです。

 必要なのは、『仕事のできる実力』であって、学歴ではないんですよ。

 まあ、高偏差値ではない大学出身の肩書きで損するのは、就職の時の書類選考で、いわゆる学歴フィルターで引っかかり、面接まで辿り着けない、ということぐらいかと思います。
 『この就職難の時代に、それが重要なんだよ。』と言われるかもしれませんが、長い目で見るとそれはそんなに大きな問題じゃないと私は思っています。その辺は、後で話します。

 大学名が役に立たないなら、受験勉強は頑張らなくていいかっていうと、間違いなく頑張った方がいいです。

 それはなぜか。
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posted by MASA at 23:40| Comment(0) | 研究開発

2011年07月27日

『時間』について

こんばんは

 今日は、ちょっと『時間』というものについて書こうかと。
 (音楽にも野球にもあまり関係ないですが・・・。)

 大学院を出て企業の研究員として勤め始めた頃に、大学と企業との研究に対する考え方が思ってた以上に違うなあ、と感じたことを覚えています。

 コスト意識とか仕事の効率とか、いくつかありましたが、やっぱり一番大きかったのは、『時間に対するプライオリティの高さ』でした。

 ちょっと極端な例を出しますが、ある研究開発に必要なものを社外メーカに発注する時、次のようなメーカがあったら、皆さんは、どちらを選びますか?

 A社:価格はそこそこ、納期もそこそこ
 B社:価格はA社の2倍、でも納期はA社よりも1日早い。品質はA社と同等。

 普通は、1日ぐらいなら安い方で、とA社を選ぶでしょう。
 私も、大学の研究室に居た頃は、やっぱりA社を選ぶ感覚でした。
 まあ、そうですよね。

 ところが、企業の場合、基本、納期の早いB社を選びます。
 もちろん、会社の業績が芳しくないとかで、研究費が切り詰められている時にはA社を選ばざるを得ないことはままあります。
 ただ、意識としては、多少高くても、たとえ1日だったとしても、納期の早い方を優先的に選ぶんですよ。

 それはなぜか。ちょっと具体例を示しますね。

 突然ですが、皆さんは『エリシャ・グレイ』という人をご存知でしょうか?
 1800年代のアメリカの発明家で、ファックスの原型、テレオートグラムを開発して成功を収めた方です。実は、彼は、そのテレオートグラムの開発で有名というよりは、その成功の前に、『時間』というものに敗れて、非常に大きな成功を掴み損ねるという経験をされた方として有名なのです。
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posted by MASA at 23:29| Comment(0) | 研究開発

2011年07月26日

♪魅せろ快投久保裕也♪

 こんばんわ。

 今日は、少し野球の話なぞをしようかと。

 皆さんは、プロ野球巨人軍の久保裕也投手をご存知でしょうか?

 結構、地味な選手なので、巨人ファン以外には、あんまり知られていないと思いますが、今や、セットアッパーあるいはクローザーとして、チームになくてはならない存在の投手です。

 彼は、野球の名門東海大学でエースとして活躍した後、2002年ドラフト自由獲得枠で巨人に入団しました。そして、与えられた背番号は11番。
 これは、前年の2001年のシーズン限りで現役引退した、11連続完投勝利の日本記録保持者で沢村賞3回受賞の平成の大エース斎藤雅樹投手(現:巨人投手コーチ)の背番号であり、それを引き継いだということは、当時、彼が如何に期待されていたかを表しています。

 元々、大変器用な選手であり、多彩な変化球を操り、フィールディングも上手く、試合をまとめるセンスに長けていたため、重宝され、1年目から、先発に、リリーフに、と活躍しました。
 ただ、いまいち安定感に欠けるところがあったので、さほど信頼される投手ではありませんでした。
 そして、その器用さ故に、登板過多になり、その影響もあって、次第に通用しなくなり、入団4年目の2006年後半からは、二軍暮らしが主となるようになってしまいました。その間、サイドスローに挑戦するなど、かなり足掻いていたようでしたが、どれも上手く行かないという状態が続きました。

 当時、ネット上では、『背番号だけエース』、『七色の変化球を持つがどれも二級品』、『典型的な器用貧乏』などと言われ、さらには、『もう終わった選手』、『そろそろ戦力外でしょ』とまで言われていました。

 そして、時は過ぎ、2009年に、彼は、自身の野球人生を賭けた試合に臨むのです。
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posted by MASA at 00:27| Comment(0) | 野球